仮面ライダーフォーゼ&オーズMEGA MAX感想

本編完走→平ジェネ2回目、とひとまず目標にしてたことが完了したのですが、まだまだ冷めないオーズ熱。

次は映画だな!ということで、夏映画(暴れん坊将軍が出てくるやつ)と冬映画(フォーゼとコラボ)を観ようかと。
時系列と逆になっちゃいますが冬映画から観てみました。

もうあれだわ、アンクが復活すると泣き、映司くんと息ぴったりの掛け合いを見て泣き、そしてアンクがいなくなってまた泣くという、なんかもうどうしようもねぇな自分……という感想しか出てこないよねほんと。。

本編観終えたときもそうだけど、今回も改めて、アンクが求めた「命」の定義って何かなあってことをぼんやりと考えました。
最初は「誰よりも完全な存在になる」みたいなことを言ってたアンクが、海回では「欲しいのは命だ」って言うようになる。
その背景には、事あるごとに「人の命を何よりも優先する」と言い、「コアと人の命どっちが大事だと思ってるんだ」に対して「命!」と即答していた映司の存在があるんだと思っていて。
最初は漠然と「完璧な存在、圧倒的な存在になりたい」という欲望を抱いていたアンクが、いつの間にか「映司があんなに大事にしている『命』ってやつは一体何なんだ…俺もそれが欲しい…」って思うようになったのかなって考えると胸が熱くなります。。

アンクの考える命とは
・五感で世界を感じられること
・「死」があること
・誰かとのつながりを築くこと
・満たされる、満足するという感覚
あたりが重要な要素なのかな。

「ただのメダルの塊が死ぬとこまで来た」って台詞から考えると、「死」があるっていうのは間違いなく「命」を構成する重要な要素だと、アンクは考えてると思うんだよね。
だけれど「死」=「不可逆な終わり」だから…死んだらもう生き返りはしないから…そうすると40年後の復活とは…?となるわけで…。
本編のラストもツラいけどめちゃくちゃ好きだし、MEGA MAXでの復活すごく嬉しかったけど本編ラストとの整合性も取りたいしで、自分の中で凄い葛藤が。

【仮説1】割れたコアが存在する現状は、人間でいうところの「完全な死」ではなく「仮死状態」や「植物状態」にあたるものである

【仮説2】「40年後」という設定から、医療技術の進歩により、人間の命すらある程度の「復活」が可能になった時代を想定

の2つの仮説を立ててみました。
映司くんが目指してるのは多分【仮説1】だよね。何とかしてこの割れたコアを元に戻したい、そしたらアンクも復活できるんじゃないか…っていう。

【仮説2】は、40年後ってまた結構先やな…とか考えてたら、ふと思ったこと。鴻上さんが生きて登場可能なギリギリ限界の未来、って年数だと思う、40年先というのは。
アンクって最初の復活が「腕」だったじゃないですか。
なんとなくiPS細胞のこととかを思い出したんだよね。人間の断片的な細胞から、一部の臓器を再生可能なら、不完全なコアメダルから身体の一部が復活するグリードがいてもいいな…とか。それだと整合性がとれるというか、「命」そのものが完全に不可逆なものではなくなっている時代、というところで帳尻を合わせる設定。

こっちの仮説だと、40年後のアンクは基本的に腕だけ姿で復活していて欲しい、そして相変わらず映司相手に文句など言いつつアイス与えられつつ仲良く喧嘩していて欲しい。(涙)
映司くん(40年後ver.)の「40年前の自分に、アンクがいる未来を知らせたい」って強い強い欲望からヤミーを産み出して、そっから得られた大量のセルメダルで一時的に全身の姿を保って現代に来たんだと良いな…。
時空の歪みに吸い込まれて40年後に帰ったあとは、ぐったりしながら腕姿に戻って、映司くんに「おかえり」言われてアイスとメダルたくさんもらってください…( ;∀;)