塩江温泉に行ってきました

温泉…最高…!!

綾川に向かうちょっと手前で山の方に入ってそこから走ること2、30分。
道の駅塩江から更に走ること約5分、ギリギリすれ違えるぐらいの山道を走って到着した先は「さぬき温泉」。
割と「ほんまにここかいな…」「もしかして通り過ぎたか?」と不安になる感じの道だけど、不安になったタイミングでこまめに看板出てるのありがたい。方向音痴の味方です。

あまりの山奥ぶりに「もしかして貸し切り状態か?」とか思いながら向かってたけど、いざ着いてみたら20台ちょっとある駐車場があらかた埋まってた。立地考えたら若干予想外なレベルで賑わってる。大半が地元ナンバーの車。

ホテルの受付で入浴の受付もしていて、日帰り入浴は大人500円、子供200円、バスタオル(レンタル)・フェイスタオル(販売)いずれも1枚200円。
右手にはご飯食べるところもあったけど、昼食済ませてきてたので短い渡り廊下を渡って直接お風呂へ。

飲み物の自販機はロビーと休憩所前に。(脱衣室にはない)
脱衣室、広々としてて気持ちいい。ロッカーは100円(返却式)。
内風呂と露天風呂は繋がってなくて、脱衣室からそれぞれに向かう扉が隣り合ってある。
内風呂、熱すぎずちょうどいい。大きなガラス張りで外の景色が見えて気持ちいい。私は入ってないけどサウナと水風呂もあった。
シャンプー類は、よくある感じのリンスインシャンプーとボディーソープ、売店で売ってる洗顔石鹸。

ひとしきりあったまったので露天へ。
これね、不安になる感じの(本日2度目)階段を下っていくんです、ずーっと。先が見えない。。
大丈夫かいな…やってなかったらやだな…つか寒い…と思いながら降りていくと、竹林に囲まれた露天風呂が。
小ぢんまりしてるけど、ひなびた雰囲気がすごい良い。
低血圧・のぼせがち、という基本的に長湯に向かない人間なんですが、露天風呂はうまいこと冷やしながらつかれるのが良いのか、好きなんよね。

露天風呂堪能してもっかい軽く内風呂つかって終了。

洗面台は、ドライヤー2台、化粧水(これも売店販売のやつ)2本完備。ドライヤーが3分10円のタイプじゃなく、自由に使えるのはポイント高い。
洗顔石鹸、化粧水ともに使い心地は好きな感じだったので、
・シャンプー、コンディショナー持参
洗顔石鹸、化粧水は備え付けを使用
・フェイスタオル持参
・バスタオルレンタル
が良いかな。

ほぼ全体的に清潔感あったけど、髪の毛めっちゃ落ちてたのだけ気になる人は気になるやろな…。ティッシュペーパー置いとくだけでだいぶ変わると思う。

休憩所は畳のお部屋。広い。備品は長机、座布団、でっかいテレビ、マッサージチェアなど。
絵を描いてるおじさんいたのめっちゃ気になった…お風呂入って、上がったら絵を描いて、冷えてきたなと思ったらまたお風呂入って、上がったら絵を描いて…とかしてるのかな。最高ですな。

総じて、「ちょっと田舎の日帰り温泉」のど真ん中を行く感じ。「あーーーそうそう温泉ってこうだよね」っていう落ち着き感が良かった。のんびりダラダラくつろげて最高でした。ちょっと遠いけどまた行きたい。

仮面ライダーフォーゼ&オーズMEGA MAX感想

本編完走→平ジェネ2回目、とひとまず目標にしてたことが完了したのですが、まだまだ冷めないオーズ熱。

次は映画だな!ということで、夏映画(暴れん坊将軍が出てくるやつ)と冬映画(フォーゼとコラボ)を観ようかと。
時系列と逆になっちゃいますが冬映画から観てみました。

もうあれだわ、アンクが復活すると泣き、映司くんと息ぴったりの掛け合いを見て泣き、そしてアンクがいなくなってまた泣くという、なんかもうどうしようもねぇな自分……という感想しか出てこないよねほんと。。

本編観終えたときもそうだけど、今回も改めて、アンクが求めた「命」の定義って何かなあってことをぼんやりと考えました。
最初は「誰よりも完全な存在になる」みたいなことを言ってたアンクが、海回では「欲しいのは命だ」って言うようになる。
その背景には、事あるごとに「人の命を何よりも優先する」と言い、「コアと人の命どっちが大事だと思ってるんだ」に対して「命!」と即答していた映司の存在があるんだと思っていて。
最初は漠然と「完璧な存在、圧倒的な存在になりたい」という欲望を抱いていたアンクが、いつの間にか「映司があんなに大事にしている『命』ってやつは一体何なんだ…俺もそれが欲しい…」って思うようになったのかなって考えると胸が熱くなります。。

アンクの考える命とは
・五感で世界を感じられること
・「死」があること
・誰かとのつながりを築くこと
・満たされる、満足するという感覚
あたりが重要な要素なのかな。

「ただのメダルの塊が死ぬとこまで来た」って台詞から考えると、「死」があるっていうのは間違いなく「命」を構成する重要な要素だと、アンクは考えてると思うんだよね。
だけれど「死」=「不可逆な終わり」だから…死んだらもう生き返りはしないから…そうすると40年後の復活とは…?となるわけで…。
本編のラストもツラいけどめちゃくちゃ好きだし、MEGA MAXでの復活すごく嬉しかったけど本編ラストとの整合性も取りたいしで、自分の中で凄い葛藤が。

【仮説1】割れたコアが存在する現状は、人間でいうところの「完全な死」ではなく「仮死状態」や「植物状態」にあたるものである

【仮説2】「40年後」という設定から、医療技術の進歩により、人間の命すらある程度の「復活」が可能になった時代を想定

の2つの仮説を立ててみました。
映司くんが目指してるのは多分【仮説1】だよね。何とかしてこの割れたコアを元に戻したい、そしたらアンクも復活できるんじゃないか…っていう。

【仮説2】は、40年後ってまた結構先やな…とか考えてたら、ふと思ったこと。鴻上さんが生きて登場可能なギリギリ限界の未来、って年数だと思う、40年先というのは。
アンクって最初の復活が「腕」だったじゃないですか。
なんとなくiPS細胞のこととかを思い出したんだよね。人間の断片的な細胞から、一部の臓器を再生可能なら、不完全なコアメダルから身体の一部が復活するグリードがいてもいいな…とか。それだと整合性がとれるというか、「命」そのものが完全に不可逆なものではなくなっている時代、というところで帳尻を合わせる設定。

こっちの仮説だと、40年後のアンクは基本的に腕だけ姿で復活していて欲しい、そして相変わらず映司相手に文句など言いつつアイス与えられつつ仲良く喧嘩していて欲しい。(涙)
映司くん(40年後ver.)の「40年前の自分に、アンクがいる未来を知らせたい」って強い強い欲望からヤミーを産み出して、そっから得られた大量のセルメダルで一時的に全身の姿を保って現代に来たんだと良いな…。
時空の歪みに吸い込まれて40年後に帰ったあとは、ぐったりしながら腕姿に戻って、映司くんに「おかえり」言われてアイスとメダルたくさんもらってください…( ;∀;)

仮面ライダーオーズ47話感想

最終回直前まで来たのに、着地点が見えない…!!

名作あるあるじゃないですかこれ?
(ジャンル違いだけど直近だと「おんな城主直虎」とか)

断片的に最終回のあれこれを(台詞とか、変身形態とか、場面の絵面とか)知ってるけど、どこがどんな感じになって残り23分であそこにたどり着くんだよ…。

それはそうと、アンクのコアを割るのは映司だと勝手に思い込んでいたので(暴走して無意識にor明確な意志を持って、どちらだろう…どっちにしても地獄だけど…とか思ってた)、まさかおまえ!ドクター真木おまええええええ!って感じでした。。

「お兄さんも映司くんもアンクちゃんもって欲張れるのは比奈ちゃんだけ」からの、比奈ちゃんがアンクを探して会いに行く場面が沁みた…。
クスクシエで会ったとき「寄越せ」と言った信吾さんの体を、「もうすぐ返す」と言うアンク。
自分自身に終末が近づいていることを察しているアンクと、それを理解して茫然とする比奈ちゃん。
その終末を「消滅だ」と言うアンクと、「死んじゃうの…?」と言う比奈ちゃん。
「死とは?」「死と消滅は何が違うのか?」って日曜朝からちびっこに投げかけるにはなかなか重いテーマですね。。生命の終焉が「死」だとして、じゃあ生命とは?命とは?生きているとは?っていう。
今のアンクはどう見ても「命がある」「生きている」としか思えない。だけどそれは人間のような見た目をしているからそう思える、だけなのかもしれない。
傷ついたとき血を流せば「生きている」、メダルが散らばれば「単なるメダルの塊」。まあそうなんだけど。そうなんだけど…そうなのか?ほんとに?的な。。
「誰かが悲しみ涙を流すならそれは死だ」っていうのも、正しいようで違う。誰も悲しまなくても、誰も知りさえしなくても、それでも人の死は厳然として「死」だからね。消滅などではなく。
それがアンクが渇望し続けた「命」の本質なのかも…と思ったりもする…が、まとまらない…。


とりあえず、里中くんに「素敵…!」ってときめく伊達さん可愛すぎ。ってことでとっ散らかったまんまだけどひとまず〆。

次回、最終回。

仮面ライダーオーズ43~46話感想

終盤は一日2話ずつにしてじっくり観ていこう…と思ってたけど辛抱たまらず一気に4話観てしまった。

海の場面、アンクの「だから俺も決めてきた」って台詞やばかった…アンクにとって「映司を潰す」ことは、もはや"覚悟を決めなければやり通せない"ほどのことになったんだね。。メダル集めのために利用してるだけだったはずなのに、利害関係さえ消えてしまえばどうでもいい存在だったはずなのに、今のアンクにとって「利」どころか「害」にすらなり得る映司を潰すことにためらいが生じる…からこその、「決めてきた」なわけで。

映司とアンクの殴り合い…これ名場面すぎてこのあと何回も何回も見返すやつだ…。
映司が欲しかったのは「どんなに遠くても届く俺の腕」。考えても考えても欲が出てこなかったのは、欲がないんじゃなくもう叶っていたから。他でもない、アンクのおかげで。
「一度も言ってなかった…アンク…ありがとう」
なんだよう( ;∀;)
ありがとうの重みが重いよ映司( ;∀;)
グリード化した赤い腕と紫の腕で戦う場面、グリードから人間に近づきつつあるアンクと、人間からグリードに近づきつつある映司が、「今ちょうど同じ地点にいる」ように感じてめちゃくちゃ良かった。

アンクが欲しい「命」について。
信吾さんの体を使うことで、アンクは「生きてる、命があるってこういうことか」って理解したわけだけど、それだけでなく彼は「人とのつながり」までも味わってしまったんだよね。
だからこそクスクシエに戻ってきたんだろう(初めて食べたアイスみたいに道端のアイス屋さんからくすねるとかじゃなく)。
アイスかじりながらいろんな場面を思い出すアンク…・゜・(つД`)・゜・
どの場面でもアンクは仏頂面だけど、ひとつひとつがその仏頂面の奥にきちんと積み重なっていってたのだと思うともうなぁ…・゜・(つД`)・゜・単なる「記憶」とは違う「思い出」も手に入れたんだよアンクは…。泣いてまうわこんなん。。

それらすべてを味わったからこそ、より確かになった「この体を手放したくない」というアンクの思い。
アンクもお兄ちゃんも両方!というのは身勝手だ…と自分自身と向き合い「お兄ちゃんと映司くんを守りたい」と腹をくくった比奈ちゃん。
絶対に両立し得ないふたつの願いが静かにぶつかった場面、怒鳴り合いとかにならない分、逆に伝わる圧が…凄みがあった。。

グリード組が次々に倒されていくのも、あぁ終盤…という感じでとても寂しい。。
カザリ→疑いと卑怯さ
ウヴァ→小心と執着と苛立ち
ガメル→幼さゆえの愚かさ
メズール→母性の孕む狂気
を具現化したキャラかなと思ってるんだけど、最後完全態になったメズールさんが拐っていくのが「母と子」ばかりというのが、まさに…という感じで。
そんなメズールさんがアンクに言う「食べて、見て、聞いたんでしょう?どうだった?」って言葉、あぁそこが彼女の想像できる「命」の限界なのか…と思ってめちゃくちゃ切なかった。食べても味がしない、見ても視界は濁っている、聞いても音は雑音まみれ、それらの「欠落」は自覚できても、たとえば人に触れるとあたたかいとか、ずっと一緒にいるとどうでもよかった人がどうでもよくなるとか、背中を向け続けていても注ぎ込まれる笑い声はいつか内面をも変えるとか、そんなことは想像もつかない。想像もつかないから「食べて、見て、聞いて、触れて、笑って、毎日誰かと暮らして、どうだった?」と問いかけることすら彼女には叶わない。つらい。

せめてあの世でガメルとお菓子食べながらかりそめであっても幸せに暮らして欲しいよ、と思ったがグリードである彼らに「あの世」などないのだった。つらい。
消滅する寸前に青いメダルに向けてガメルが差し出した赤いキャンディーが、一瞬小さな小さな一輪のカーネーションのように見えました。つらいいいいいい。



ものすごくアンクとメズールに偏った感想で、自分の嗜好がありありと出てるな。。
ラスト2話、心して観ようと思います。
お わ っ て し ま う う ぅ ぅ ぅ

仮面ライダーオーズ41・42話感想

比 奈 ち ゃ ん が 尊 い …! ! !

「普通の可愛らしい女の子だけどものすごく怪力」っていう設定がこう効いてくるのか…他にもう誰にも止められなくなった暴走オーズを止められるのは、あたたかさと力強さを併せ持つ、生身の比奈ちゃんの両手なんだね。

映司がだんだん人からグリードに近づいていってるのきつい。映司の中の感覚は次第に失われてグリードへ「堕ちて」いっている最中なのに、人々がオーズを呼ぶ声はまるで神様をすがり求めるように「崇める」声にも聞こえて、そのギャップがきついー…。

映司がアンクを助けに向かう理由、あいつがやっぱり大事だから…とかじゃなく、「あいつが初めて助けを求める顔をしてたから」なのが本当に映司らしいなと思った。目の前に伸ばされた手を必ず掴もうとする人。

お魚食べて「味のないガムみたい」のくだりからの、「アイスもっと好きに食べさせてやればよかったな…」はほんともう。。( ;Д;) アイス見たら泣いてまう体にされそうや。。

アンクと信吾さんの演じ分け、同じ画面の中に映ると際立って凄さが伝わるなぁ。

後藤ちゃんと里中くんがいい感じのコンビになりつつあって良き。「そろそろ上司が~」のくだり、良き良き。



あと6話!

仮面ライダーオーズ39・40話感想

いやぁぁぁぁぁぁぁちびアンク怖すぎるやろホラーか!呪怨か!呪怨の少年思い出したわ怖いわ((( ;゚Д゚)))


ふう…(まじでびびったしリアルにテレビ画面指差して叫んだ…)

終盤、感想が書けば書くほどどんどんどんどん重たく湿っぽくなってきたので先に軽めのをひとつ書いとくと、里中くんと後藤ちゃんはまたしてもひっどい凸凹コンビですねw 後藤ちゃん苦労人だねほんと…(´・д・`)


さて。
30話あたりで映司の体内に紫のメダルが取り込まれてからずっと思ってたけど、あれ以降、映司はヤミーの気配に気づけるようになってるよね。

戦闘における役割分担が
アンク→ヤミー察知、メダルの保持、戦略、メダル出し
オーズ→対ヤミー実戦
で、二人のうちどちらが欠けてもヤミーとは戦えないはずだったけど、映司自身がヤミーの気配がわかる、戦略にしても映司からアンクにメダル指定して要求したりしてる今、アンクの存在意義とは…?って。
(メダルの保持は当然映司本人にだってできるわけで)(ポケットに入れとくとか…?)(細かいとこ突っ込んだら戦兎くんにダメ出しされるやつ)

39話冒頭のアンクの悪夢、あながち根拠のないものでもないというか、映司が着実にオーズとして一人でも戦えるようになりつつあるが故の不安から生まれたものかな…と。ちびアンクの成長だけならアンクは「はっ!俺が負けるかよ」とか笑い飛ばしそうな人じゃん…そこで弱気にはならないというか。

そんなこんなの思いがありつつ40話に進んだので、河原のシーンは締め付けられるように切なかった。
比奈ちゃんの首もとを締め上げる場面。アンク本人より、映司と比奈ちゃんの方が、アンクのことを解ってる。「最初の頃と同じ」なんかではないこと。アンクが本気で比奈ちゃんを潰すなんてもうできないと理解してるからこその、アンクの腕を掴んで抵抗していた手を静かに下ろす比奈ちゃん…その姿を見て思わず揺らぐ、揺らいだことでようやく変化した自分自身を理解するアンク…( ;ω;)ウウ

『ただ時間が積み上がっちゃった、好きだとか嫌いだとかの前に』

あるよね…あるよそういうこと…「情が湧いた」までもいかないかも、だけど今すぐいなくなっていいの?って問われたらちょっと待ってそれは困る、って口をついてしまうような。よく考えたら別に困らないのかもしれないけどでも困る、だって毎日毎日ずっと一緒に居たから。

橋の下での誕生日パーティー、あんなに暖かくてあんなに得体の知れない悲しみに満ちた誕生日パーティーがあるかよ…(泣)。
チープにキラキラした電飾、アンクにとんがり帽子をかぶせてあげる映司、仏頂面でケーキのロウソクを吹き消すアンク、ハッピーバースデーの旋律をギターでかき鳴らす知世子さん、アンクの周りを囲んで踊る3人、重なる比奈ちゃんのモノローグ、頬杖つきながらケーキを口に入れるアンク、落としたとんがり帽子を拾って頭にのせるアンク…

すべてがあたたかくてやさしくて、この先ずっとこのままではいられないことを誰もが口にはせずとも薄々感じながら、すべて飲み込んでただこの時間を大切に慈しむ、その空気が迫ってきて、泣けて泣けて仕方なかった。

そのあとの夜明けのシーンも良かったな…薄青い世界の中に佇む映司とアンクと比奈ちゃんと、場所は違えど時を同じくする後藤さんと。
(伊達さん行っちゃったから後藤ちゃんを後藤ちゃんて呼ぶ人がいなくなってしまった…)

メダル全部ちびアンクに持っていかれて、この先どうなっちゃうんだよアンク…っていうのも勿論あるんだけど、同時にもうひとつ考える、「仮にグリード組の邪魔立てがなかったとして、どうなったら『ハッピーエンド』なのか」ってことを。
全てのコアを集めてアンクが完全復活したとして、刑事さんは刑事さんとして回復して、その場合アンクは現状の「腕以外ほぼ人間の姿」とかでなくもう完全にあのグリード態なわけで(姿は変えられるんだろうけど)、さらに目的を達したアンクが理由なくあの屋根裏に居続けるとも思えないし、そうすると結局は別れが待っている…?ていうかアンクその後どうするの…?グリードとして生きるためにヤミーを作って欲望を喰らって生きるの…?ってとこまで考えてなんだか辛くなってきて思考停止しました。。

残り話数、あと8話。

勢い余って。

こんばんははじめまして。と、誰にともなく挨拶。

最初の投稿なので、まずはブログ作った経緯でも語ってみます。

12月半ばに、仮面ライダーの映画「平成ジェネレーションズFINAL」を観てきまして。

登場するライダーのうち、現在進行形のビルド以外では
・エグゼイド
・鎧武
はガッツリ完走済み。
・ゴースト
も緩くだけど一通りは観ていて
・オーズ
・フォーゼ
が全く手付かずという状況で映画館へGO。

予備知識もほぼ何もないままだったのに、オーズ組の二人のただならぬ空気にあてられて、「これは…オーズを…オーズを観なければ…!」と心に決めて帰宅。

それからちょっとずつAmazonプライムで観ていく日々。(途中、PC画面じゃなくテレビ画面で観たいよー!(*っ´Д)っという欲望に抗えず、12時間ほどの熟考の末fireTVstickをポチる)(自分へのクリスマスプレゼントという名目)

そして年末年始の休みで一気に加速。

気づいたら38話まで来てました。全48話なので、あと10話。
「オーズ全話完走後にもう一回映画館で平ジェネを観たい」というのが目的なので、あんまりのんびりもしてられないんですが、でもあと10話?!10話ってあっという間じゃん…2話セットで1時間足らず、それを5回繰り返したらもう終わってしまうん…?いやださみしい( ;∀;)となり。

これはあれだ、カルテットのラスト2話あたり、直虎のラスト1ヶ月のとき感じたのと全く同じ気持ちですね。なるよね、好きなお話であればあるほど。必ず同居している、早く先を知りたい気持ちと、終わってしまわないで…!という気持ち。

観てしまったら、観てなかった頃の自分にはもう戻れないわけです。2回目3回目観ることはもちろんできるけど、それは「初めて観たときの気持ち」と決して同じではない。とっくに終了してる作品ですから当然あちこちにネタバレ的なものは存在していて(何たって我が家には息子がお年玉全額突っ込んで買った「仮面ライダー大図鑑DX」がある、オーズのページの読み聞かせは完走するまで待ってもらってるけどそれでも目に入る、いろいろと)、だけどふわっとネタバレ踏んでても尚、1回目は純然たる1回目なんですよ。ストーリーの大筋を知ってるからといってその価値は全く薄れない。大切にしなければならない。

では「大切にする」とは?
残り10話、流れ去るままに観ていったらすぐ終わっちゃう(Amazonプライムはひとたび再生ボタンを押せば何もしなくても何話でも文字通り流れ去っていく)、悔いなく完走するには私は何をすればよいの?

一場面一場面、感じることがあるわけです。台詞に、目線に、動きに、呼吸に、掛け合いの「間」に、ひとつひとつ。
その、感じるひとつひとつを、どれも逃さず掴まえておかなくては。
そのためには…?


そ う だ 、 ブ ロ グ 書 こ う 。


(長いわ)
(関西住みの皆様は「そうだ、京都行こう」のあの感じで脳内音読お願いします)

まあそんなわけで、mixi更新しなくなっちゃって以来ずっと長文書くのに餓えてたこともあり、めでたくブログ開設と相成りました次第。
これまでもやっぱり長い文章が書きたくて何回も「ブログまた始めようかな」って思ったり、過去のブログ引っ張り出してひとつふたつ記事上げてみたりしたことはあったんだけど、なんか熱が続かなくてそのままフェードアウトしちゃったりとか、そんなことばっかりだったんですが。
今回は割とやる気に満ちています。熱しやすく冷めやすいので「とりあえず今は」と言っておこう。。
ひとまずどうにもこうにも長文欲が半端ない感じなのです。Twitterでは毎日毎日オーズオーズオーズオーズ言ってますが足りなかったのかな?足りなかったんだよあれでも!全然!

なお、そういう経緯につき、よっぽどブログタイトルを「その欲望、解放しろ」だの「謎の腕」だの「割れた赤いメダル」だのにしようかと思ったんですが、さすがにはっと我に返って一瞬理性を取り戻しw、オーズのサブタイトル(○○と△△と××)形式でこんな感じにしてみました。
好きなもの3つ。オーズはその中のひとつには敢えて含めませんでした。今後多分、気分によってタイトルはちょこちょこいじると思うんだけど、そしてもしかしたらいつかオーズの話とか一切しない全然別テーマのブログになる日が来るかもしれないけど、この「○○と△△と××」形式だけはそのままずっと保っていこうかなと。きっかけになったオーズに、静かな敬意をこめて。


(…なんか末永くブログ続ける体で〆てるけど、まずは2記事目が無事アップされるかどうかだよ三日坊主だから…!)